今回は、私の一世一代の大舞台のご案内をさせて頂きます。
「文志の能、いつ見るの? 今でしょ!!」
まさに、それほどの大曲であり、チャレンジです(^^)
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11月末に催す「花影会」で、超大曲「安宅」を披き(初演し)ます。
本曲は、歌舞伎で有名な「勧進帳」の元となった能であり、10月に36歳を迎える私ですが、この年齢で勤めさせて頂く事は、ご宗家等、特別な立場の方を除いては、異例の若さです。私の父や、叔父が40~41歳で勤めた時でも、業界的にはかなり若くしての初演だったという事ですから、今回のチャレンジがどれくらいの事なのか、少しはお分かり頂けるでしょうか?
また、29歳で「道成寺」を初演させて頂いたのと同じか、それを上回る程のチャレンジであり、それくらいの覚悟の舞台、是非皆様に勇士をご覧頂きたく、宜しくお願い致します。
☆詳細(トップや公演情報より、チラシもご覧いただけます。)
○花影会(かえいかい) ~義経一行の悲哀 エピソードⅡ~
○11/30(土)12:30開演 (12:30~解説・13:00~演能)
○於:観世能楽堂 渋谷区松濤1-16-4
○S指定席 14000円
A指定席 10000円
特別指定B席8000円(チケット予約時に自由席区画の中からお好きな席を指定)
B自由席 6000円
学生自由席 3000円
20名以上、団体割引あり
○内容
お話 武田友志
能 「三井寺 無俳之傳」 武田志房
狂言「船渡聟」山本東次郎
仕舞「碇潜」坂口貴信、「二人静」小川明宏・小川博久、「鞍馬天狗」野村昌司
一調「杜若」武田宗和 小寺真佐人
能 「安宅 勧進帳」武田文志
・能「安宅」あらすじ
平家滅亡の後、兄頼朝の疑いを受けた源義経(子方)は、主従12人作り山伏(シテ・ツレ・間狂言)となり、奥州を目指して都を落ち延び、加賀國安宅まで来ると、新たな関所が作られたとの噂を聞く。義経の命令を受けて一計を案じた弁慶(シテ)は、義経に対し強力姿となる事を進言し、まことの強力(間狂言)には関の偵察に行かせる。
一方、頼朝の意を受けてこの地の関を守っていた富樫某(ワキ)は、一行を怪しんで斬り殺そうとした。弁慶は南都東大寺の勧進山伏であると言い逃れようとしたが、富樫は是非を言わせないので、弁慶らは覚悟を示して最後の勤行を始めた。すると富樫は、或いは誠の山伏かと仏罰を恐れ、策を変えて勧進帳の読み上げを求めた。弁慶は元よりかような物を持っていなかったが、さあらぬ体で笈の中から往来の巻物を取り出し、勧進帳と名付け高らかに読み上げたので、富樫は一行を通す事とした。ところが強力姿となり一行の最後に関を通ろうとする義経を、富樫は見咎め、義経を押さえようとした。一瞬の機転で義経を討ち据えた弁慶であったが、容赦ない富樫の咎めに、義経の郎等達は今こそ一期の浮沈と武力を以て圧力をかけ、その余りの勢いに、富樫は遂に一行を関から通した。
一行は関所から暫く遠ざかった所で休み、弁慶は義経に対する非礼を涙ながらに詫びるが、義経は「天の助けであった」と慰め、皆でその境涯を嘆く。そこへまた富樫が追いかけてきて、先程の無礼を詫び、酒を勧めた。弁慶は舞を舞って酒席を助け、一行は虎の尾・毒蛇の口を逃れる思いをして此処を立ち去るのであった。
あとがき(ちょっとマニア向けの裏話です)
今回36歳という若さで勤めさせて頂くことには、ここでは語りつくせぬ様々な思惑がありますが、観世御宗家にお伺い申し上げたところ、二つ返事で「どうぞ」と後押しして頂き決意致しました。またかねてよりの拘りで、「安宅」をさせて頂くならば、後半にある「クリ・サシ・クセ(義経の悲哀を地謡が謡う部分)」を必ず入れさせて頂きたいと考えており、昨年の「野宮」に引き続き、地頭を浅見真州氏にお願い致しました。同山頭については、どなたに願うか頭を悩ませていたところ、10年来の親交があり、近い世代の中で舞台上最も尊敬・信頼する先輩のお一人である、京都の浦田保親氏(10歳上、FBで「お友達」です)より、「合わせ稽古にも何度でも行きますよ(^^)」との、誠に有難いお言葉を頂き、お願いすることに決めました。他の8名は、兄や従兄弟のムネリン(私のタイムラインに度々登場(笑))をはじめ、日頃より特に苦楽を共にしている同門・同世代・後輩の皆さんにお願いし、三役も近い世代の中で最も信頼する方々にお願いしました。
長文をお読み頂き、誠に有難うございました。
お申込みは、メール、FBメッセージ、お電話070-5463-8473(花影会事務局)等にて承ります。
皆様お誘い合わせの上、御来場賜ります様、何卒宜しくお願い致します。