先日の花影会では、550名満席のお客様に囲まれ「安宅」を無事勤める事が出来ました。これもひとえに医療の進歩と、支えて下さった皆々様のおかげと、深く感謝申し上げております。

翌日は別の舞台がありましたが、2日(月)よりの4日間を休養期間とし、ゆっくり休みました。

安宅自体は、とても大変というか、正直に言ってかなりしんどい舞台でしたが、この大変さが、病気をしたからなのか、曲の重さなのか、或はその両方なのか?これは、もはや分からぬことです(^^;)。基本的に、病気ではない状態で舞う事は、もうない訳ですから。

ただ、自分の感覚では、曲自体の大変さの方が大きかったのであろう事と、病気を経て、より一層腹が据わったという事、そういった意味で、病気をした事によるパフォーマンス低下は、トータル的には無かったと思われ、もしご覧頂いた方に不満が残ったとすれば、それが私の実力だという事だと思います。

もっとも、お客様では、正面切って不満を言って下さる方は中々いませんが(笑)

また、間違いなく言える事は「今回、安宅をさえて頂いて良かった」という事と、「安宅であそこまでは出来るならば、今後も能を舞っていく事が出来そうだ」という事です。

いまの所、体調的に大きな反動もなく、のんびり休養期間を過ごしております。

色々と書きたい事もありますが、今日は花影会当日に配布した文章を掲載させて頂きます。

本日ご来場頂いた皆様へ

既にご存知の方も多いくおいでの事と思いますが、私文志より、皆様にお伝えしたい事があります。ご存じない方には、些か驚かれる内容、鑑賞の妨げとなるやも知れませんので、是非、安宅終演後にお読み頂きます様、お願い申し上げます。

実は去る10月19日、36歳の誕生日に、思いもよらぬ大病「慢性骨髄性白血病」が発覚し、緊急入院致しました。病名を聞くと、「不治の病」というイメージがありますが、幸いな事に、この病気はここ10年程で最も研究が進んだ分野の病気の様で、現在は特効薬があり、完治は難しいものの、しっかりと投薬を続ければ、全くと言って良いほど普通の生活に戻れるとの事です。また副作用や後遺症が出にくいのも、この薬の特徴であるとの事で、実際、薬を飲み始めてからも、今までと何ら変わりありませんので、ご安心下さい。

病気を宣告されて最初に思い浮かんだのが、今回の安宅の事でした。実はその時点で主治医より「まだ一ヶ月以上あるし、投薬治療が順調に進めば出来ると思いますよ」と言われておりました。それでも俄かには信じられず、初めは9割方無理であろうと覚悟しました。但し、100%諦めてしまうと体力回復は絶対に適わないと思い、医師の言葉を頼りに、気持ちだけは切らさぬように過ごし、さりとて考えれば絶対に勤めたくなるのは、自分の性格上明白であり、敢えて最初の2週間くらいは、安宅や能楽の事を一切考えないように過ごし、方々への連絡以外は、とてものんびりと静養致しました。

入院中から体調も良好で、ほぼ普通の生活と変わらぬように過ごし、11月6日(水)晴れて退院の運びとなり、それから本日を迎えるまでは、安宅の稽古と体力・筋力回復の為のトレーニング、休養を繰り返し、ノンビリやって参りました。
しかしながら、今日の日を無事に迎えられた背景には、この40日間、家族・能楽師・お弟子さん・友人・知人、本当に多くの方々から絶大なるお力添えを頂き、様々な面で私を支えて下さったという事実があります。この事なくして、本日の私は成り立ち得ませんでした。一つは、本日ご覧頂いた皆様に、この場をお借りして、この事を知って頂きたく、この文章を出させて頂きました。

幸いだった事は、父がここ数年かなり暇な時間が出来ており、入院時からこの年末まで、私の素人のお弟子さんの稽古を全て代わってやってくれている事です。現実的な話になってしまいますが、正直に申しまして「生活」の事もあり、この父の協力なくしては、自分の本日の復帰は適わなかったと思います。役者としての活動をしていくにも、医師よりも、初めの3ヵ月くらいは特に慎重にと言われており、特にその間は、元の過密なスケジュールのままでは、到底復帰できる自信もありませんでしたし、またその様に動いては絶対にいけないであろうと、自分自身、強く思っております。お弟子さん方もこれを理解して下さり、全面的に協力をして下さりました。また、そういった理由で、本日挟み込みのチラシにもある暮れの「七拾七年会」も、幸いチラシ印刷前であった事もあり、メンバーと相談し、両日共、シテを宗典君に勤めてもらう事に致しました。是非、変わらぬ応援をお願い致します。

入院中の3週間、広報も出来ずに完全にストップしてしまった券売も、退院時170枚残っていたチケットが、僅か2週間で完売となりました。これは、私が安宅を勤められるか見通しが立たぬ段階から、恐らく私への激励の意味で、多くの方々がご協力下さった賜物と思います。また、病気が発覚しても、それを理由としたキャンセルは1枚も出ませんでした。皆々様の御志に深謝申し上げます。

実は2週間程前、兼ねてより決まっていた小さなワークショップがありました。初めは兄に代わってもらう事も考えましたが、今日への試運転的意味もあり、自分で致しました。その時に一つの質問がありました。「この仕事をやっていて、最も魅力的と思う所、良かったと思う時はどんな時ですか?」
私は迷わず答えました。「能楽自体が素晴らしいものである事、その魅力は言わずもがなですが、僕は人間好きなので、多くの方々と、一生の付き合いが出来る事。今回の様に、大きな感謝、御恩を頂いた時、それをこの先の人生において、お返しして行く事が出来る事。義理人情の世界とも言われる、そういう所です」と。能楽師同士は勿論一生の付き合い。そしてお弟子さん、お客様、友人、知人。能を通じて、一生繋がっている事が出来るのです。今日の舞台もそうです。皆様が楽しみにして下さっている、その期待やエールを感じるからこそ、稽古に励み、精一杯の努力をし、皆様に喜んで頂けるのです。共演者の皆様の協力があるからこそ、良い舞台が成り立ち、またその方々がシテや主催の時、こちらも精一杯のパフォーマンスをして恩をお返しする。能楽界は、そんな素晴らしい世界です。そして、例え一度でも舞台をご覧頂き、心を寄せて下さるお客様方も、私は能楽界の一員だと思っております。また伝統芸能の保持・発展に寄与して頂いている方であると認識しております。是非今後も、当会に限らず、この素晴らしい世界に対し、皆様のお力添えをお願い申し上げます。

今回私は、本当に目覚ましい医療の発達により、今後も能楽師として大きな問題もなくやっていけそうです。しかしながら、初めは、最悪余命半年も、一生能が舞えなくなるかもという覚悟も致しました。「もし舞えなくなったら謡方になろう」「それも無理ならば研究者かプロデューサーになろう」そんな事も考えました。そして、大丈夫と分かった今でも、一生の病気を抱えた事も、また事実です。
誠に僭越な事ですが、家、流儀、業界の中で、自分の背負っている物の重さは重々感じており、長生きも責任だと思っております。体調、精神、状況、問題が、日々刻々と変化していく中で、誰よりも、自分自身が自分を大切に思っており、その存在意義も使命も大いに感じているからこそ、初めから誰よりも冷静に現状を受け止め、病気と真剣に向き合っております。
数名の方より「一病息災」という御言葉を頂きました。本当にその通りだと思っております。これからは検査も定期的となり、薬の飲み方にも制約があり、否応なしに、より一層健康に気を付ける事となります。私が最も好きな言葉「浮世と見るも山とみるも、ただその人の心にあり」の通り、相変わらず前向きに冷静に、それでいて熱く熱く、頑張って行こうと思っております。

是非今後とも変わらぬご声援を、いえ、私にも能楽界にも、これまで以上の応援・ご声援を賜りたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

平成25年11月30日(土)花影会  
武田文志

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